厚生労働省によれば、医療安全の確保は医療政策における最も重要な課題の一つであり、患者の安全を最優先に考え、その実現を目指す態度や考え方としての「安全文化」を醸成し、これを医療現場に定着させていくことが求められている。そして、医療安全を確保するためには、行政、医療機関、医療関係団体、教育機関や企業、さらに、医療に関係するすべての方が各々の役割に応じて医療安全対策に向けて積極的に取り組むことが必要であるとされている。 医科においては、平成13年に厚生労働省に医療安全推進室が設置、平成15年には特定機能病院・臨床研修病院に、医療安全専任管理者・部門・患者相談窓口配置が義務付けられ、平成16年には国内で発生しているインシデント事例把握のために、特定機能病院等に3b以上の医療事故情報等について日本医療機能評価機構への報告が義務付けられている。その後、特定機能病院では、医師、看護師、薬剤師の医療安全管理業務への専従者の確保が進み、平成29年度からは特定機能病院間のピアレビューが開始されるなど、医科では着実に医療安全確保に向けた技術的な標準化が進んでいる。学術的な観点においても、医療の質・安全学会、日本医療安全学会等の学術団体の設立によって医育機関や企業を巻き込んだ「安全文化」の醸成、国公私立大学附属病院医療安全セミナー、国立大学附属病院医療安全管理協議会といった行政、医療機関と医療関係団体を巻き込んだ組織的な医療安全の確保がなされてきている。 歯科においては、医科に遅れること6年後の平成19年になってようやく第5次改正医療法の施行に伴い、歯科医院等の無床診療所でも安全管理体制の整備が義務付けられた。それまでも、開業歯科医とは異質な診療環境といえる特定機能病院である大学病院からの3b以上の歯科インシデント事例は収集されてはいたが、一般的な歯科診療室において生じているインシデント事例は把握できておらず、歯科における医療安全の関心は医科に比較して低い状況であった。 歯科診療は外科系の処置が多く、狭い口腔内での鋭利な器具や高速切削器具の使用等による危険性が潜在的に存在することに加えて、歯科診療で使用する器具は非常に小さく、口腔内での器具の落下は誤飲・誤嚥のインシデントに直結する。加えて、人口構成比の変化とともに歯科診療室を受診する高齢患者の割合が増加しており、高齢患者の増加に伴って全患者に占める有病者率も自然と高くなることから、年々歯科診療室におけるインシデントのリスクも増大してきているにもかかわらず、歯科の多くが個人開業形態で事例収集を行うことすら難しく、その実態すら把握できない状況が続いていた。令和5年7月にようやく日本医療機能評価機構によってその実態を把握すべく、歯科ヒヤリ・ハット事例収集事業が開始された。このように、医科に比較して歯科は「安全文化」の醸成のスタート自体が遅れて開始している。 一方、国内の医療機関における医療安全管理部のほとんどで、歯科医師は室員として所属していない。病院内の歯科・口腔外科で生じるインシデントは、歯科以外の医療職にとって未知の分野であり、参考とする資料もなく、病院内の医療安全管理部として事故後の取り扱いに苦慮することも珍しくない。医師の歯科治療に対する認知不足、歯科本書発刊の企画意図——なぜ病院内の歯科事例の扱いが難しくなるのか?
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